2024年10月出版された、 加藤諦三 氏の単行本の紹介です。「不幸を受け入れる」ことこそ幸せの条件だと著者は言います。不幸を受け入れられない人は現実から逃げている人だともいいます。三十年後に幸せになっている人は「昨日よりは今日,今日よりは明日」という生き方を三十年する人であるそうです。この本は心理学による幸福論です。このタイトルはコップに半分水があるときに、半分も水があると思うか、半分しかないと思うかという意味のようです。
加藤諦三 「 それでも幸せな人、不幸な人 」 概要

加藤諦三 「 それでもし幸せな人、不幸な人 」
コップに水が半分ある時に、なぜ半分しかないと思うかを心理学で解説しています。
加藤氏の本は相変わらずまとまりが悪く、思ったこと次々書いている感がありますので、自分なりにまとめてみました。
幸せな人は「不幸を受け入れられる人」
「不幸を受け入れる」ことから全てが始まる
この本でも「不幸を受け入れる」ことが大事だと言っています。
「不幸を受け入れる」(シーベリー)と「すべての悩みが解決するような力をもとめてはいけません」(エピクロス:古代ローマの哲学者)は同じ意味だそうです。
しかし、幸せな人しか「不幸を受け入れ」られないわけです。
この矛盾を解決するのが無意識の意識化だそうです。
コップに半分しか水がないと思う欲張りなパーソナリティーは愛情飢餓感が強く、心の底に怒りを溜め込んでいる。
自分の心の底の憎しみと愛情飢餓感に気づき、それを意識に乗せ、自分の人格に意識的に統合していかない限り、どんなに恵まれた環境になっても不幸であるということだそうです。
「記憶に凍結された屈辱感」が絶えず刺激されて傷つき不満になる。
甘えの欲求が満たされていないので、絶えず心理的に不満になる。
何故、「すべての悩みが解決するような力」を求めるのか
それは心の底に憎しみがあるから。
何事にも直ぐに結果を求めるのは、退行欲求が激しいのと、生きるエネルギーが消耗され尽くしているから。
だから現実にある解決方法を拒否してしまう。
具体的な悩みの解決とは、ある不幸と幸せを一緒にしてセットで選択することである。
ある出来事が、幼児期の「孤立と追放」の恐怖を刺激する。
そこで大人になっても絶対の安心を求める。これが「すべての悩みがなくなるような力を求める」人である。
幸せになれるか、なれないかの問題は努力の動機にある
理想とか完全を求める動機には二つあり、一つは愛情からの成長動機(自発的)もう一つは不安や劣等感からの欠乏動機(脅迫的)。
深刻な劣等感が動機で理想とか完全を求めるのは、人を見返えし人に復讐するためだから不幸を受け入れられない。
悩みを顕微鏡で見てはいけない
何時も否定的な結果に注意を向けることになる。
膨大な屈辱感を抑圧した結果が神経症。
「意識と無意識の乖離」が不幸の源である。
親からの隠されたいじめは好意的サディズムである。親子の役割の逆転であり、恩着せがましさである。
「信じられる人がいるかどうか」で人生は変る
>親の自己増悪は外化される。
相手に対して『「べき」の暴君』になる。
いじめの環境の中で成長した人の問題点は、第一に「母親を信じられない」第二に「根強い隠された恐怖」である。
母親を信じられないということは、大人になって誰も信じられないということである。
「にもかかわらず」という考え方
感謝の気持のない人は、今自分にある価値を否定して、今自分にないももの価値を強調する。
自己実現している人の考え方の特徴は「にもかかわらず」だという。
コップに半分しか水がない「にもかかわらず」幸せである
隠されたいじめと自己増悪
隠されたいじめでは、憎しみがどんどん堆積していくのと同時に、恐怖感が蓄積されていく。
積もり積もった憎しみの感情や恐怖感が、自己増悪となり、楽しむ能力を破壊する。
自己増悪には深刻な劣等感と恐怖感がある。
だから優越することが唯一の喜びになる。
「小さな幸せ」をつかむ人、取りこぼす人
「無力と依存性」は人間の宿命である。この依存性を乗り越えないかぎり、人はどんなに努力しても幸せにはなれない。
不安の積極的な解決の方法
意識領域を拡大するのが不安の積極的解決であり、「自己実現」である。
コップに水が半分しかないことに注意がいく人は、広範な領域にわたって不満がある人である。
生きるエネルギーが満ちている人の共通点
「小さいときに愛されなかった」という不幸を受け入れたときに、心の成長がスタートする。
困難な状況に際してエネルギッシュな人は、一ミリずつ回復しようとする。
なぜ「自分のやりたいこと」が見つけられないのか
青年期の課題の一つである「興味の覚醒」の障害になるのが無意識に蓄積された憎しみである。
小さい頃から劣等感だけで動いてきたから、「自分の素直な感情」で動いたことがない。
人からちやほやしてもらうこと、人から褒められること、人から認めてもらうこと等々を目的にしてきた。
け自分の適性を考えたことがない。オイディプス・コンプレックスが自分の核にあると気がつば全て理解できる。
親の支配」から抜け出すカギ
「ある」ほうに注意がいく普通の子どもは自分で生きている。養育者の支配下にない。したがって情緒的に成熟する。
問題の性格者は自分の意志を持てない。養育者のリモコンとしている。
普通の子どものリモコンは、身につけた習慣である。
人をけなしても自分が幸福になるわけではない
「ない」ほうに注意が行く問題の性格者は常に意図的に弱点、欠点ななど相手の悪いところに注意がいく。
また問題の性格者は、他人に対して神経症的欲求(復讐性)がある。
なぜ「ありのままの自分」でいられないのか?
勇気を持って過去に直面し、乗り越える
もともと基本的に欲求不満な人、あるいは母親固着が満たされていない人は不安である。
神経症的な欲求によって私達は人生を台無しにする。
「自分の無意識に何があるのか?」を検証することである。
親が支配的であるならば子どもは不安、心配、憎しみをもつ。
他人と心を通わせる方法
おとなになって親しい人ができても、心の底で「私たち」という帰属意識を持てない、この基本的不安感は、人が自分の本当の感情で他者と関係をつくるときに障害となる。
自分の心の中の不安と向き合うことが、他者と心を通わせる方法である。
自分を捨ててまで人に好かれる必要はない
「記憶に凍結された屈辱感」があるということは、まだ甘えの欲求が解消されていないということである。
自分のしたいことをして嫌われるのが怖いから、自分を裏切り続ける。
その結果、自分にも相手にも憎しみを持つ。
「人のために何かする」のがなぜ心にいいのか
人は抑圧されたものに支配される。
殺したいほど悔しかったことを一つ一つ意識化し、吐き出す。
その悔しさのエネル-を生産的な仕事に振り向ける。
人のためになることをするエネルギーに変える。
無意識の怒りは変装して現れる。
今の広範な範囲の不満を乗り越えるのに、愛や正義の仮面を被ったままで頑張ってしまったら、そこで人生は行き詰まる。
他人に期待するのをやめる
人を頼りはじめたときに、私たちは人を責めはじめる。
他人に期待することをやめれば、周囲の思いやりに気がついてくる
神経症者にとって他人は母親である。
これが母親から愛されなかった人の決定的な弱点である。
学歴も、お金も、結婚も、幸福の本質とは関係ない
幸せか不幸かは、依存心が強いか自立心が強いかである。自分が所属する集団への所属感があるかないかである
自立なしに人の幸せはありえない
「無力と依存性」は人間の宿命。それが心の苦しみの原点。
十分に愛されないで成長した人の心の底には恐怖感がある。
この恐怖感こそ、人の一生であらゆる場面で影響を与える。
恐怖感を持ちながら成長すると、自我の確立がない。
自分の欲求をコントロールできない。あとさき考えず行動する。
なにより恐怖感のある人は人が嫌いになる。
人間の心の苦しみに源は、小さい頃の親子関係にある。
人は自分を根拠に行動できるようになってはじめて幸せになれる。自分を頼りにできれば、恐怖感は劇的に薄らぐ。
本当の幸福論
幸福についての決定的な錯覚は、幸福は現実の苦しみが少ないことと思ったことである。
おそらく人間を根源的に動かしているのは「幸せになりたいという願望」ではなく「孤立と追放」からくる恐怖感である。
読んだ感想
不幸を受け入れるには
幸せだから「不幸を受け入れられる」にもかかわらず、幸せでない人が「不幸を受け入れる」にはどうすればいいかという話です。
無意識を意識化すること
この矛盾を解決するのが無意識を意識化することのようでうす。
意識化したうえで、怒りのエネルギーを生産的なことに振り向けることで感情を溶かしていくことです。
理由もなく怒りが湧いてくることがあります。どうやら無意識に怒りが溜まっているようです。
やりたいことをやらずに生きてきたせいでしょう。
これを意識に上げて行動する必要があるようです。無意識に抑圧したままだと所謂、神経症的な努力になってしまいます。
神経症者は周りを母親にしてしまうそうです。
しかし、自分を育てるのは自分です。
一つ一つ地道な努力をするしかありませんね。
まとめ
この本は副題に『「今ある大事なもの」に気づく心理学』とあります。小さい頃に愛されなかった人はその大事なものに気がつかないようです。
世間に復讐するのではなく、自分を大事にする心理学の本です。
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