他人と比較しないだけで幸せになれる 感想
加藤諦三 氏の新作「 他人と比較しないだけで幸せになれる 」の紹介です。
定年後の生き方を考えた本です。
老後の不安について書かれています。
人々が年金のことで不安になるのは、年金を口実に自分の存在に対する本質的な不安を合理化しているに過ぎないといいます。
それには、コミュニケーション能力を身につけることだそうです。
他人と比較しないだけで幸せになれる 概要

他人と比較しないだけで幸せになれる
1章の概要です。
定年は他人との比較からの開放である
定年は競争社会から別の社会で生き始めること。それはまさに「挑戦」である。
神経症的傾向の強い親から無意識に侮辱されて、周囲の世界が敵になる。
周囲の世界は常に自分に屈辱感を与えた。そうなれば常に周囲の世界に身構える。
失敗は常に「責められる」という不快感と結びついている。
「自己蔑視は、対象への復讐を表している」(フロイト)。
自分の心の底の無意識の憎しみを意識に上げる。
それを意識に統合化する。そこで生きるエネルギーが出る。
劣等感と基本的不安感
脅迫的に自分と他人を比較している人は、自分の劣等感と憎しみに気が付いていない。
すべてにおいてすべての人に優越したいという気持ちが生まれる。
これは自己増悪である。
優越したい=愛されたいという代償=愛されていないから。
その結果、対象無差別に愛されたい=対象無差別に人と自分を比較する。
「私たちという感情」の代わりに優越を求めるのが基本的不安感である。
基本的不安感は、自分の自発的な感情から他人とつながることを妨げる
否定的な自己暗示に気づく
従順であることによって「いい子」であることは、本当の自分を殺すことである。
「自分自身にかけられている否定的な暗示に気がつくことから、治療は始まるのです」(シーベリー)
脅迫的に比較するのは「孤独と、依存からの敵意」があるからである。
定年や高齢期は本気の挑戦のときである
自分を他人と比較しない。自分が自分にとって心地よい存在になる。
優れた人の話を聞いても、傷つかない。自分は愛されているという感情が揺るがない。
自分は代替不可能な存在だから嫉妬はない。
高齢期は、再教育の時代
競争社会だからこそ「成功して見返してやりたい」と考えてしまう。
復讐心の背後にある、競争社会という文明を捨てることが再教育である。
燃え尽き症候群
何かに熱心になる動機は「認めてほしいから」=「幼児的願望」
共同体において比較はありえない。誰でも固有の存在である。他人と比較出来ない存在である。
成長する子どもの落とし穴は「親族の英雄」である。
脅迫的に比較する人はノイローゼである。自我が不安定である。
常に人の悪口を言っている。悪口依存症にならなければ自我の防衛できない。
「人がどう思うか」はどうでもいい
悪口と自慢話で自らの自己蔑視から目を背けている。
基本的不安感と正比例して、自分のしている態度について無意識で硬直化する。
主観的人物が「どう思うか」で、自分は「何をしたいか」ではない。これが自己疎外である。
今必要なのは自分の潜在的可能性を実現することである。人とコミュニケーションすることである。
人は過去から自由ではない
高齢になって初めてものが見えてくる。そこで高齢は「楽しい」。
その人の写真ではない。過去とのつながりの中でその人が見えてくる。
高齢期になっても、忘れたはずの幼児的願望がしっかりと心の中に、出番を待っている。
高齢期の課題は、自分で自分を励ませるようになることである
自分で自分を励ませる、これが情緒的成熟の頂点であろう。心理的成長の到達点であろう。
情緒的に未成熟なまま人を励ますことをすれば、それは人にプレッシャーを与えているに過ぎない。励まされる方は不愉快になるだけである。
「 他人と比較しないだけで幸せになれる 」を読んで変わったことと、感想
小さい頃、愛されなかった人は周囲が敵になり、憎しみを持ちます。
そして自己蔑視をします。それは対象への復讐を意味します。
その結果、愛されるために他人に優越しようとする。
そのために基本的不安感が生じます。
自分の心の底の無意識の憎しみを意識に上げることで、それを意識に統合化することで生きるエネルギーが生まれると加藤氏はいいます。
共同体では比較はありえないのに、比較されて自己増悪になるわけです。
そういう人は比較しないだけで幸せになれるということでしょう。
自分が自分に心地よい存在になるというのは難しいですね。
無意識のうちに他人と比較していますから。
自分で自分を励ませる、これが情緒的成熟の頂点であるという言葉には驚きました。
人に励ましてもらうのではなく、自分で励ますんですね。
学生時代に「お前の生き方は間違っている」と下宿に押しかけて説教をしてきた同級生がいました。
不快そのものでした。台所の包丁が意識に浮かんだくらいです。
新興宗教にかぶれていたようですが、その人にはやりたいことがなさそうでした。
情緒未成熟な人の励ましは不快なだけだと加藤氏も言っています。
自分を他人と比較しない。自分が自分にとって心地よい存在になるというのは余り考えてきませんでした。
今からそれを実行しなければいけません。
神経症的な親から無意識に侮辱された結果、生じた憎しみを意識に上げることから始めなくてはいけません。
まとめ
この本は定年後の生き方を書いています。しかし、「不幸を受け入れる」という加藤氏の最近の主張に沿ったものです。基本的には最近の著作と通じるものがあります。
苦悩能力 の確立ということでしょうか。
定年になっても退行欲求と成長欲求の戦いが続くようです。
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